季節を感じられる国内の旅行も楽しいものです。

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おくのほそ道ちょっとだけ旅その13 高久

江戸を発ってからおよそ2週間、芭蕉主従は黒羽から余瀬を経て高久に入ります。

高久では近辺の大名主高久覚左衛門宅に2日逗留したことが同行の弟子曾良の日記に記されています。

十七日 角左衛門方ニ猶宿。

 

、現在も続く高久家の広い敷地内に句碑も建っています。

 

高久を出立する日の「曾良日記」に

十八日 卯尅、地震ス。

とあります。はるか300年前にも曾良日記の記述に残るほどの地震があったようです。芭蕉主従はさぞやびっくりもし慌てもしたでしょう。そう想像すると親近感が湧いてきます。

 

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ちょっと早めのGWに

谷川岳の麓にでかけ、近くにある文学碑をちょっとだけ見学です。

 

若山牧水の歌碑は「わがゆくは山の窪なるひとつ路冬日ひかりて氷りたる路」と刻まれています。自らの志のために困難な路を歩き続けている、といったような意味合いでしょうか。

車の往来の激しい道の傍らに太宰治の「姥捨」の一節が刻まれた碑がありました。「水上の駅に到着したのは、朝の四時である。・・・」と刻まれていました。

 

はるか遠くにまだ雪を頂いた谷川岳が見えます。

  

翌日、かねてから気になっていた「足利フラワーパーク」の藤を見に足利に寄りました。

園内は花を愛でる老若男女で賑わっていましたが、訪れた4月29日、花はまだ少々早く期待の1メートルに及ぶという花房は見られませんでした。

 

 

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名残の紅葉 長瀞

♪花の長瀞 あの岩畳

と「秩父音頭」に唄われた「長瀞」で紅葉狩りをと出かけてみましたが、時既に遅く落ち葉を踏み敷く散策になってしまいました。

 

残っている葉も強い風がくればあっという間に散ってしまいそうですが、それでも晩秋の陽に照らされて輝いてみえます。

 

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おくのほそ道ちょっとだけ旅 その12 玉入

3月27日に江戸を発った芭蕉主従は4月1日の午後日光に到着、「御宮拝見」し、翌日今市を経由して玉入に入ります。

「曽良日記」に

一 同晩 玉入泊。 宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。

と記されているように、とった宿が良くなくて急遽名主の家に一泊したようです。

 

この名主であった「尾形氏」の子孫は医業に携わったようですが、今はこの地にないようで、「芭蕉一宿之跡」という石碑が建つのみです。周囲は茫々とした草叢となっていて、これもまた「無常」を感じさせます。

 

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おくのほそ道ちょっとだけ旅 その11 飯塚摩利支天

間々田に一泊した芭蕉主従は、小山から飯塚を通り壬生へと向かいます。

曾良日記に

一 廿九日、辰ノ上尅マゝダヲ出。
  一 小山ヘ一リ半、小山ノヤシキ、右ノ方ニ有。
  一 小田(山)ヨリ飯塚ヘ一リ半。 木沢ト云所ヨリ左ヘ切ル。
  一 此間姿川越ル。 飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。 飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、
とあります。
                                                                                壬生への経由地であった飯塚には、この地方の豪族のものと思われる古墳があります。琵琶塚古墳と摩利支天古墳です。
おくのほそ道にも曾良日記にもその記載はありませんが、二人が古い街道沿いにあるこの古墳の脇を通ったことはほぼ間違いないと思われます。写真は、その街道から前方後円墳摩利支天古墳への上り口です。 

前方後円墳の「後円」部分に神社が祭られていましたが、この後円部分は「前方」部分よりも更に盛り土があって高くなっていました。

前方後円墳の写真は俯瞰のものしか見たことがなくこういう高低差があるものとは知りませんでした。写真は「後円」にある神社から「前方」部分を写したものです。

 

 

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