ジュード・ジ・オブスキュア 伸び伸びと
ディープカップ咲きの大輪で花弁がやや内側に入り込んでいます。中心はアプリコット、外側に向かって淡い黄色へとグラデーションになっています。そして柑橘系の素晴らしい香りがします。株が大きくなってきましたのでこの春先に鉢から地面に下ろしました。
命名はトーマス・ハーディの同名の小説に由来しているそうです。
1995 イギリス デヴィッド・オースチン

ディープカップ咲きの大輪で花弁がやや内側に入り込んでいます。中心はアプリコット、外側に向かって淡い黄色へとグラデーションになっています。そして柑橘系の素晴らしい香りがします。株が大きくなってきましたのでこの春先に鉢から地面に下ろしました。
命名はトーマス・ハーディの同名の小説に由来しているそうです。
1995 イギリス デヴィッド・オースチン
<雲巌寺>
当国雲岸寺のおくに、仏頂和尚山居跡あり。
(中略)
其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝんで共にいざなひ、若き人法師の石室をみるがごとし。
啄木も庵はやぶらず夏木立
と、とりあへぬ一句を柱に残侍りし。
芭蕉主従は、鹿島根本寺の住職で江戸深川に逗留したことのある仏頂和尚の住まいのあった雲巌寺を訪ねます。そこには寺つつきと異名のある啄木鳥に破られもせず庵が残っていたそうです。
この俳句の句碑が雲巌寺に建っていました。
ここ雲巌寺は手入れされた庭園をもっていますが撮った写真が何故かボケて・・・。新緑がまぶしかったですし、紅葉の季節もさぞ美しいことでしょう。
奥の細道の旅はまた機会があれば出かけていきたいと思っています。
<黒羽> 承前
それより八幡宮に詣。与一扇の的を射し時、「別しては我国氏神正八まん」とちかひしも、此神社にて侍と聞ば、感応しきりと覚えらる。暮れば桃翠宅に帰る。
玉藻神社を後にして、芭蕉は那須八幡神社に詣でます。この神社は、屋島の戦で源義経に従軍していた那須与一が平家の軍船に立てられた扇を矢を射るときに「南無八幡大菩薩」と心に念じたその八幡神社だということです。
芭蕉はその話を聞いて「感応しきりと覚えらる」と書き、遥か500有余年前に思いを馳せたのです。
この神社の山門はなかなか美しいものでした。
<黒羽>承前
修験光明寺と云有。そこにまねかれて、行者堂を拝す。
夏山に足駄を拝む首途哉
光明寺は今はなく句碑だけが建っています。
初夏の青葉を吹き渡る風を「緑風」といいますが、この薔薇の微かにグリーンを含む色合いはまさに緑風という感じがします。
コロンとした蕾がいくつもつき丈夫そうです。
2005年 フランス メイアン
芭蕉は馬を借りて那須から黒羽に入りました。黒羽に住む浄法寺高勝(俳号は秋鴉または桃雪)の許を訪ね歓待されて13拍14日の長い逗留をします。
<黒羽>
黒羽の館代浄法寺何がしの方に音信る。思ひがけぬあるじの悦び、日夜語りつゞけて、その弟桃翠など云ふが、朝夕勤とぶらひ、自らの家にも伴ひて、親属の方にもまねかれ、
浄法寺桃雪屋敷跡に句碑が建っています。「山も庭も動き入るるや夏木立」
その間郊外を散策して、「九尾の狐」伝説で知られる「玉藻神社」を訪れます。
那須の篠原を分けて、玉藻の前の古墳をとふ。
写真は狐の化身である「玉藻の前」が蝉に身を変えて潜んでいたものの、池に写った真の姿を見つけられたという「鏡が池」です。大きな水溜り程度の大きさですが、芭蕉もこの池を見たと思うと感慨があります。
ここにも句碑が建っていました。
秣おふ人を枝折の夏野哉