絶景列車と氷河を観る旅

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帰国の日

7泊9日のスイス旅行が終わります。

お世話になったこの「スイスパス8Days」も使い納めです。

 

列車、バス、トラムのチケットをその都度買うという手間を省いてくれる強い味方です。指定された美術館や博物館もフリーになったり割引になったりするのですが、今回は自然を楽しむ旅だったのでそちら方面の出番は余りありませんでした。

チューリッヒの空港です。

 

スイスフランを使うことは多分もうないので、このゲート近くのショップで残ったコインを使ってしまおうと思いました。その時アラブ系の知らないおじさんが私と店員とのやりとりを見て不足分を出してくれました。もうびっくり。万国共通?の「サンキュー」とジャパニーズスマイルで感謝を。

紙幣はナリタで円に換えます。大分残りました。

 

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チューリッヒ散策 ダウンタウンでチーズフォンデュも

チュ-リッヒには1日目と終わりの2日計3泊しましたが、1日をチューリッヒ観光に当てられなくて時間に余裕のある時に少しづつ見て周りました。

 

チューリッヒ中央駅です。ここの地下にはショッピング街があってとても便利でした。ホテルはここから100Mと離れていない駅直近で鉄道利用の旅では欠かせない条件です。

駅舎の裏側に建つ「スイス国立博物館」。大急ぎで見学しましたが、古い家具や衣装のコレクションはなかなか興味深いものです。

 

南北に流れるリマト川の川沿いをぶらぶらしながら歩き、シャガールのステンドグラスのあるフラウミュンスターへ。大変美しいもので座り込んで眺めること15分。写真は禁止でしたが、他のサイトからいただきました。

 

 

対岸には二つの塔をもつグロスミュンスターが見えます。

 

チューリッヒ湖はこの場所から南東に40キロものびる細長い湖です。遊覧船が行き来していました。

 

トラムに乗ってバーンホフ橋を渡りダウンタウンに出かけました。目的は本場のチーズフォンデュをいただくためです。

ところが季節もあってか扱っている店がみつからず、あちこちで聞きながらやっと辿りつきました。路上に並ぶ席でイギリス人?のお兄さん達と相席です。そこに通りかかった日本人の男性が「幾らですか?」と聞いてきました。メニューをみせると「結構高いんだなぁ」とつぶやいて去っていきました。少々塩味が強くてお味は今一でしたから彼は正解だったかもしれません。でも私達は目的遂行で満足。

 

 

 

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ルツェルン 氷河の痕跡と傭兵の歴史

マイリンゲンからチューリッヒへの帰途ルツェルンに立ち寄りました。

ルツェルンはスイス中央部に位置するスイス第4の都市です。

駅を降りるとフィーアバルトシュティッター湖が右手に見え、左には湖と繋がるロイス川が流れています。そしてヨーロッパ最古の木造橋でルツェルンのシンボルであるカペル橋が見えます。その建造は14世紀ですから既に700年近く経っているということになります。渡ってみるとその橋板は磨り減り歴史が感じられました。

 

スイスは平地が少なく以前は傭兵としてヨーロッパ各国に兵力を輸出していたそうです。今でもバチカンの護衛はスイス兵というのはその名残だそうです。

フランス革命の時、ルイ16世とマリーアントワネットの護衛でスイス兵700余名が命を落とし、その兵を悼んで記念碑が作られました。とても大きなものです。

 

2万年前ルツェルンは厚さ1000Mの氷河に覆われていて、その痕跡が至るところにあるそうです。ここ氷河公園のポットホールは国立天然記念物に指定されています。ポットホールというのは、氷河が溶け出した水が砂利と共に猛烈に渦を巻いて作った穴のことです。ここでは直径8M深さ10Mもの大きな穴が見られます。

   

また氷河に運ばれ融けた後に残された「迷子石」もたくさん見られました。

  

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180メートルの峡谷アーレシュルフト ホームズ最後の地ライヘンバッハの滝

推理小説好きの私が1度はいってみたいと憧れていた「ライヘンバッハの滝」が見られる日です。

かのシャーロック・ホームズが宿敵モリアーティ教授と揉み合って落ちたという滝つぼには二人が落ちた場所に赤い印があるそうです。作者のコナン・ドイルは何度もこの地を訪れていたそうで、轟々と落ちるライヘンバッハの滝に感動してここを舞台にしたということです。

マイリンゲンには氷河が削った峡谷「アーレシュルフト」があり、これも一見の価値ありと見学場所に加えました。

チューリッヒからルツェルン乗換でおよそ2時間、マイリンゲンに着きました。

 

そこからミニトレインに乗っておよそ10分アーレシュルフト東入り口に到着です。

 

 

ミニトレインを降りて入り口まで上り坂で息を切らせましたが「がんばれ」と応援してくれた羊さん。

 

アーレシュルフトは深さ180M 幅は一番狭い所はわずか1Mです。峡谷の岩盤に直接取り付けられた1M程の遊歩道を約3キロ歩きます。悠々とあるいは轟々と流れるアーレ川が、遊歩道の板の隙間から覗き迫力があります。高所恐怖症気味の私にはややハードで足がすくむ場所もありました。対岸の岸壁が迫り上を見上げると細く切り取ったような空が見えます。

 

 

アーレシュルフト西側に抜けた私達は、ライヘンバッハ滝に向かいます。

 

30分も歩くと滝に登るケーブルカーの駅に到着しました。

 

少し前から降り出した雨の中乗客は私達だけでした。

頂上に着くと何と土砂降りです。しかし豪雨の中でも記念写真は忘れません。パネルから顔だけ出すのですが、背が高くて顔を出すために思い切り背伸びです。

 

滝は、水量は思ったよりも少なくまた幅もそう広くなく若干期待はずれの感が否めませんでした。

 

このケーブルカーは創業してすでに100年が経過しているそうです。

 

雨の中例の滝つぼを見ることもできず、そそくさと乗ってきたケーブルカーが下るのに乗って降りました。

マイリンゲン駅に戻る途中ホームズ様に出会い感激です。

 

因みにシャーロック・ホームズはこの後生還します。ファンがその死を認めずコナン・ドイルは止む無く続編を書き続けたそうです。

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首都ベルン散策

ベルンはスイスの首都とは言いながら、人口ではスイス第5の都市だそうです。因みに1番はチューリッヒで、ジュネーブ、バーゼル、ローザンヌと続きます。

まず、インフォメーションで観光地図とバス路線図をもらいました。スタッフの若い女性は、私達を日本人と認識してくれてたどたどしいながら日本語で対応してくれました。うれしくて「日本語お上手ですね」と褒めると「マダマダデス」と恥かしそうに微笑みました。

駅前は古都のイメージとはちょっと違う近代的な空間で、バスやトラムの発着場には沢山の人が行き交っていました。

 

スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と公式言語が4つあり、その中ではドイツ語を話す人が多いということです。英語は若い人の方が聴き取ってくれるので、道を聞くときはそれらしい人を探します。

教えてもらった番号のバスでまずは「バラ園」へ。

バラ園は規模はそう大きくはありませんが、湾曲したアーレ川に囲まれた市街を見渡せる丘の上にあって、吹き渡る風は心地よいものでした。

 

快晴で暑いくらいの強い陽射しのなか、日曜日ということもあって観光客だけでなく市民と思われる家族連れで賑わっていました。

  

  

 

 

  

  

 

  

 

 

次は「熊園」へ。「ベルン」の名はこの街を築いたツェーリンゲン公が狩りで熊をしとめたことからだそうで、熊はベルンのシンボルとなっています。しかし、アーレ川のほとりの広くないところに数頭の熊がいるだけの何だか拍子抜けする風景でした。

 

石畳の旧市街の建物には道路に向けて地下室への入り口があり興味を惹かれました。写真の左側の建物にも斜めになった入り口が二つ見えます。スイスでは「核シェルター」設置が義務付けられているそうなので、それかしらと想像しましたが、当たっているでしょうか。

また道の中央に噴水がみえますが、こういう噴水がベルンには100箇所もあるそうです。

 

大聖堂のファサードは美しく見応えがあります。

 

世界遺産の旧市街の石畳の道の中心にある時計塔です。毎時56分に仕掛けが動き、それを目当てに多くの人が集まっています。

 

 

アインシュタインが「相対性理論」などを執筆したという家が公開されています。下の写真の真ん中の建物の入り口に赤い字で表示されています。当日は休館で中は見られませんでした。

 

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