房総ゆかりの絵師を巡る

菱川師宣=「見返り美人」の作者という知識しか持たずに参加した小さな旅でした。

まずは菱川師宣記念館から。

見返り美人のお出迎えです。

     2009.10.24菱川師宣鋸南町 021

     2009.10.24菱川師宣鋸南町 002-1

このモデルが現代であれば美人かどうか微妙なところです。350年もたてば美の基準も変わってしまうものなのでしょう。

     2009.10.24菱川師宣鋸南町 003

江戸時代初期の「浮世絵の祖 菱川師宣」は千葉県保田の出身です。当時保田は江戸への水運で栄えていたそうです。縫箔刺繍を生業とする家に生まれその下絵を描いていた師宣は江戸に出て修行を重ね、当時上流階級の楽しみだった肉筆画の浮世絵を、版画にすることによって庶民に広めていった功績が評価されています。浮世というとまず遊郭そして芝居が代表で、そこから題材をとり庶民の人気を得ていったようです。

知られている「見返り美人」は肉筆画で現在上野の国立博物館が所蔵していますが、常設展示ではないらしいです。この記念館のものは模写ということになります。

師宣の生家跡には記念碑が建っていました。菱川家は直系ではないながらも今も保田にあるそうです。

     2009.10.24菱川師宣鋸南町 011

師宣のお墓は元禄16年の津波で流出し、現在の墓石は昭和2年と平成5年に建てたれたものだそうです。

     2009.10.24菱川師宣鋸南町 013

 

次の写真は菱川師宣とは関係ありませんが、鋸南町の史跡として紹介してもらったところです。

1枚目は里見氏ゆかりの日蓮宗富士興門派の本山のひとつ「妙本寺」 2枚目は「源頼朝上陸地」です。頼朝はここに漂着して14日の間に房州豪族を見方につけその後北上し鎌倉に入ったそうです。

     2009.10.24菱川師宣鋸南町 018

     2009.10.24菱川師宣鋸南町 007

保田は海水浴場としてはよく知っていましたが、その昔江戸の文化が船によって伝えられる地であったこと、また漱石や西条八十の愛した地であったこと、戦いに敗れた頼朝が漂着した地であったことなどは初めて得た知識でした。

講師の話は興味深いものでしたが、お天気には恵まれず風邪を引きそうでした。お天気が良ければ富士山が望めるという保田海岸の景観を楽しめて尚楽しい旅になったことでしょう。

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ヨハン・シュトラウス ワルツの優雅さ

     2009.10.21ヨハン・シュトラウス 006

親子2代にわたる作曲家のどちらをイメージしたかというと、作品に「南国の青い薔薇」をもつⅡ世の方ではないでしょうか。

中心が淡くアプリコットかかり外側に向かって上品なピンクのグラデーションになっています。僅かな薫りを漂わせ優美な姿です。地面近くの花なので花弁が少々傷んでいるのが残念です。

1994 フランス メイアン

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秋のウイリアム・モーリス

     2009.10.19ウイリアム・モーリス 002

花弁の多い花はその重みで枝垂れて咲いています。秋のさわやかな空気に香りがより強く感じられます。

1998 イギリス デビッド・オースチン

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アーモンドアイの黄金仮面 シカン展

上野の国立科学博物館で開催されている「シカン展」を見学。終了まで10日弱残すだけとなった日曜日とあって会場は予想通りの混雑でした。

     2009.10.4シカン展 001

耳慣れない「シカン文明」 それはペルーで栄えたインカ文明の前の8世紀から14世紀にかけての文明です。日本人考古学者島田泉氏によって発掘命名されました。シカンの人々は高度な金属加工の技術と土器製造技術をもっていたということです。

ロロ神殿から発掘された墓の主のミイラはつりあがったアーモンド型の目がつけられた黄金の仮面をつけていました。この目の形が特徴だそうです。展示の多分目玉であるこの仮面の前は人だかりでした。顔にかかる部分は横長で、上部に仮面の倍ほどの黄金の装飾部分をもつ思ったより大きなものでした。1000年もの間地中に眠っていたとは思えないほど黄金の輝きを取り戻していました。

3Dシアターで墳墓の構造や埋葬された姿勢などが解説されて大変興味深かったです。。

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