迷宮都市 フェズ

モロッコ最古の都として知られるフェズの旧市街メディナは無数の小路が入り組んだ迷路のような場所です。

道幅2メートルから3メートルほどの小路の両脇には住宅や小さな商店がびっしりと建ち並びそこを荷物を運ぶロバが通ります。

メディナの入り口に建つブールジュード門は青色のタイルを基調としたタイルのモザイクが美しい門です。

メディナの中にある「アッタリン神学校」です。漆喰に彫られた文様や美しい色合いのタイルで装飾された壁など見応えのあるものでした。  

最近モロッコの革製品を目にすることがありますが、フェズのメディナの中に皮なめし工房があります。皮の臭気を消すためでしょうか、ハーブを配布され屋上まで昇ると眼下に皮を染める作業場が見渡せます。建物内は製造された革製品が天井から隙間なく展示され圧巻です。

フェズの中の民家でハーブティーをいただきました。生のハーブだけでなく乾燥させたハーブもありました。生のほうがやはり香りは良いようです。

メディナはゆっくりと歩けばきっととても面白い場所ではないかと思いますが、旅行者が気ままに歩くのはとても難しいでしょう。

フェズのタイルを焼く技術が食器や飾り皿などの製作に生かされ郊外に陶器工場があります。男性女性の職人がそれらの製品に手描きで装飾を施しています。フェズブルーと呼ばれる紺色が基調のようで私もその中から記念にカップ&ソーサーを求めました。

 

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砂漠の朝日は黄色い・・・

サハラ砂漠の入り口の街エルフードからは4WD車に乗って1時間、礫砂漠から砂砂漠と変わっていく砂漠地帯を往きます。めざすはメルズーガ砂丘。砂丘で日の出を観る為に砂漠の中に忽然と現れた感じのオーベルジュに宿泊です。オーベルジュとはフランス発祥の宿泊施設を備えたレストランのことだそうです。

写真ではなかなか良い感じなのですが

多分自家発電のため中は薄暗く料理の色も判然としない夕食となりました。

部屋に戻りシャワー中に電気が消え、準備した懐中電灯が役に立ちました。エアコンはありましたが、そういう電力事情なのでただの飾りだったようです。砂の侵入を防ぐためでしょうが部屋には小さな窓がひとつだけ、しかも建てつけが悪く開きません。従って蒸し風呂と化した部屋で汗びっしょりの一夜になりました。なかなかできる経験ではありません。

夜明け前真っ暗な中期待のらくだに乗って砂丘を往きます。ひとこぶラクダの背に数枚の毛布のようなものがかっていてそこにヨイショと乗るのです。ラクダは長い前足を折って乗せてくれますが立ち上がるときはガクンガクンと衝撃がありました。砂丘をゆっくりゆっくり歩くラクダの背中は悪い乗り心地ではなく、後ろのラクダが時々背中に頭を摺り寄せてくる感触も楽しいものでした。

1時間弱で砂丘の頂上に到着、朝日が昇るのを待ちました。

砂埃の所為か地平線辺りはぼーっとかすみ昇ってきた太陽は白茶けた黄色に見えました。

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カスバ街道を往く

前日カスバ街道の起点近くのワルザザードに宿泊し、早朝からアイト・ベン・ハッドゥに向かいます。アイト・ベン・ハッドゥは要塞化された村クサルのひとつだそうです。特別な史実はないのですが、「アラビアのロレンス」や「ハムナプトラ2」などのロケ地として有名です。そして1987年に世界遺産に登録。

赤い岩肌がむき出しになった小高い丘のような風景は異様です。

頂上に登ると眼下に一帯の風景を見渡すことができ要塞として機能していたことがわかります。

カスバとは原住民ベルベル人が外敵の侵攻から身を守るために住居の周囲に塀をまわし造った要塞のことです。そのカスバが多く残るのがティネリールからエルフードへの街道で、これがカスバ街道とよばれているようです。♪どうせカスバのよーるにさく~・・・と歌われたカスバの雰囲気はどんなものかしらと興味がありましたが、それはアルジェリアが舞台のようです。

カスバ街道から少し北に寄り道、トドラ渓谷です。両側にそそり立つ岸壁に圧倒されます。

ここで、小学校高学年くらいの少年が草を編んだらしい栞のようなものを観光客に売り歩く姿がありました。観光で生きる人の多いお国柄ですが、ちょっと考えさせられます。

カスバ街道の終点であり、サハラ砂漠の入り口の街エルフードに向かいます。その途中の地下水道跡を見学。ベルベル人たちはアトラス山脈からの水を砂漠の地下に造った水道で引いていたそうです。今は使用されていません。

 

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