プラハ 街歩き

中世ヨーロッパの雰囲気を色濃く残す街・・・とずっと憧れてきたプラハです。

プラハ城はその敷地内に多くの建物を擁する集合体だという事を始めて知りました。

まず入城するためにパスポートチェックがありました。少々緊張しましたがなんと言うこともなく通過。

プラハ城の城門には左右に衛兵の姿があります。この兵隊さんはいかめしい顔をしていますが、写真を撮り終わって「サンキュー」と挨拶すると薄く笑ってくれました。本当は笑ってはいけないのでしょうね。お邪魔してごめんなさい。

ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂は、プラハ城内に建つ非常に厚い信仰を集める教会でありチェコの歴代王の戴冠式に使用した宝物が保管されているとのことです。

有名なミュシャのステンドグラスです。その美しさに圧倒されます。

簡素な建物ではありますが多くのひとの信仰を集める聖イジー教会です。

城内の見晴台から望んだプラハの街並みです。ところどころに高い建物もありますが、統一された美しい街並みです。

旧王宮前を通過して

ここは黄金の小道と呼ばれ、その謂れは錬金術師が住んだことからだそうです。錬金術などと聞くといかにも中世らしい、その辺から黒いマントを纏った人が現れそうな気がしてきます。

今はお土産屋さんや、当時の人々の暮らしを伝える博物館のようになっていました。

王宮と旧市街を結ぶカレル橋の両サイドには聖ビートを始めとする30体の聖人像が建っています。

この中で聖フランシスコザビエルを支える4人の中に日本人がいるというので探してみました。下の段左側だそうですが日本人とみるには少々無理が・・・。

      橋上の喧騒をよそにヴルタヴァ川はただゆったりと流れています。

旧市街に戻りカフェで一休み。初夏の日暮れを楽しむ人たちが思い思いに寛いでいます。

暑い上観光客でごったがえしていて私のイメージしていたプラハとはちょっと違いましたが、私が勝手にイメージしていただけでしたし季節や時間で街も趣を変えるのだと思い直しました。

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世界一美しい町 チェスキークルムロフ

チェコの南部にあるチェスキークルムロフは

チェコ南ボヘミア州の小さな都市。クルムロフ城を含む優れた建築物と歴史的文化財で知られる。クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」を意味し、ドイツ語のKrumme Aueをその語源とする。チェスキーは、チェコ語で「ボヘミアの」という意味であり・・・ウイキペディアより

丘の上に建つチェスキークルムロフ城は町の何処からも望める町のシンボルであるようです。

この城は領主が何代も変わりその都度改築増築によっていろいろな建築様式が残っているそうです。中庭を囲む建物の壁面は石による凹凸があるように見えますが、これは壁面全体に描かれた模様です。街中にも同じような壁面の建物がみられ面白いと思いました。

中庭を囲む建物の壁面は石による凹凸があるように見えますが、これは壁面全体に描かれた模様です。漆喰を塗りまだ乾かないうちに色をつけていくというフレスコ画と同じ技法です。平面に描いてあるのに陰を描くことにより凹凸があるように見えます。レリーフのように石に高低がある訳ではありません。

街中にもお城の壁面と同じような壁面の建物がみられ面白いと思いました。こちらは新しくて色も落ちていないのでより凹凸が感じられます。 城内から町が一望できました。可愛い赤い屋根が並んでいて絵本に見る町のようです。

城の堀で飼われている熊さんです。

歴史の波の中で打ち棄てられていた時代があったようですが、それがかえって古きよきものを残すことに繋がって「世界一美しい町」と言われるようになったのかもしれません。

日が暮れてくるとチェスキークロムロフ城のライトアップが始まります。闇の中に浮かぶ幻想的なお城にしばし時を忘れました。

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音楽の街 ザルツブルグ

オーストリアの最西端の場所ザルツブルグは以前ドイツ旅行の際についでに周ったところです。商店街の店名を示す意匠をこらしたアイアンアングルがとても素敵だったことが忘れられません。

まず訪れたのは「ミラベル庭園」です。ここは1606 年にザルツブルグ大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ラテナウによって愛人のサロメ・アルトのために建てられたそうです。現在はザルツブルグの市長公邸として使用されており、また映画サウンドオブミュージックの撮影場所としても有名です。この日も多くの観光客で賑わっていました。

ザルツァッハ川のマカルト橋たもとに建つ「カラヤンの生家」です。カラヤンの等身大の銅像が建っていましたが、割合小柄な方だったようです。

旧市街に向かう途中にモーツァルトが17歳のときから暮らした住居がありました。左側のピンクの建物です。ここは日本の企業の協力で再建された建物だそうです。

旧市街のメインストリート「デトライデガッセ」です。

一目で傘やさんとわかります。

外壁が黄色の「モーツァルトの生家」です。1階はお土産屋さんになっていました。

こちらは建物の裏側ですが、やっぱり黄色です。

散策中に遠くに聳え立つ「ホーエンザルツブルグ城」が望めました。以前はケーブルカーで上り眼下に広がるザルツブルグの街の景観を楽しみました。

道端で歌うおじさん達です。何事かと思いましたがこういうことはそう珍しいことではないようです。さすが音楽が根付いた街です。

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オーストリア 歴史の中のウイーン

オーストリアは北海道と同じ位の面積人口830万人の小国ですが、その歴史は紀元前からと古く13世紀後半からハプスブルグ帝国となります。第二次大戦の敗北で占領された後永世中立国として独立、ヨーロッパのほぼ中心という地理的条件から国際都市として発展。

首都ウイーン旧市街の目抜き通りケルトナー通りは観光客で溢れていました。その中で一際高い塔をもつ「シュテファン大聖堂」です。12世紀から14世紀にかけて建築が進められたそうです。ここはハプスブルグ家の墓所であり、またモーツァルトの結婚式が行われたことでも有名です。

街角の花屋さんです。

ここはウイーン国立歌劇場で、街頭に向けて大きなスクリーンが設けられてステージの演目が誰でも見られるようになっていることに驚きました。

マリアテレジアの像が周囲を威圧するように建っているウイーン美術史博物館前です。ここはブリューゲルを始めとする絵画の名品が収められていますが、今回は見学が叶わず残念です。

さていよいよ「シェーンブルン宮殿」です。わたくし的には今回の旅行の目的の一つです。

17世紀の後半狩小屋として建てられその後代々の皇帝が増改築を重ねてマリアテレジアがウィーン風ロココ様式として完成させたそうです。全景を収めることが難しいほどの大きさです。端から端まで180メートルあり、その色はマリアテレジアイエローと呼ばれています。彼女がこの色を好んだのではなく、金で塗ることが財政的に厳しかったからと言われています。

ここには数々のエピソードが残されています。シシィの夫フランツヨーゼフはここで生まれ暮らし最後を迎えました。またマリーアントワネットが幼少の頃、モーツアルトがここに招かれて演奏した際にマリーアントワネットに求婚したという話もあるそうです。ケネディとフルシチョフが会談したこともあるとのこと。

内部は1441の部屋がありますが公開されているのはごく一部です。グランドツアーで40室を周りましたが壁面を埋める織物やロココ調の調度品はかのヴェルサイユ宮殿よりも美しく管理されているように思えました。室内の写真撮影は禁止されていますので、お庭の写真を載せます。

薔薇の生垣の向こう側にマリアテレジアイエローがみえます。

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