オーストリア 歴史の中のウイーン

オーストリアは北海道と同じ位の面積人口830万人の小国ですが、その歴史は紀元前からと古く13世紀後半からハプスブルグ帝国となります。第二次大戦の敗北で占領された後永世中立国として独立、ヨーロッパのほぼ中心という地理的条件から国際都市として発展。

首都ウイーン旧市街の目抜き通りケルトナー通りは観光客で溢れていました。その中で一際高い塔をもつ「シュテファン大聖堂」です。12世紀から14世紀にかけて建築が進められたそうです。ここはハプスブルグ家の墓所であり、またモーツァルトの結婚式が行われたことでも有名です。

街角の花屋さんです。

ここはウイーン国立歌劇場で、街頭に向けて大きなスクリーンが設けられてステージの演目が誰でも見られるようになっていることに驚きました。

マリアテレジアの像が周囲を威圧するように建っているウイーン美術史博物館前です。ここはブリューゲルを始めとする絵画の名品が収められていますが、今回は見学が叶わず残念です。

さていよいよ「シェーンブルン宮殿」です。わたくし的には今回の旅行の目的の一つです。

17世紀の後半狩小屋として建てられその後代々の皇帝が増改築を重ねてマリアテレジアがウィーン風ロココ様式として完成させたそうです。全景を収めることが難しいほどの大きさです。端から端まで180メートルあり、その色はマリアテレジアイエローと呼ばれています。彼女がこの色を好んだのではなく、金で塗ることが財政的に厳しかったからと言われています。

ここには数々のエピソードが残されています。シシィの夫フランツヨーゼフはここで生まれ暮らし最後を迎えました。またマリーアントワネットが幼少の頃、モーツアルトがここに招かれて演奏した際にマリーアントワネットに求婚したという話もあるそうです。ケネディとフルシチョフが会談したこともあるとのこと。

内部は1441の部屋がありますが公開されているのはごく一部です。グランドツアーで40室を周りましたが壁面を埋める織物やロココ調の調度品はかのヴェルサイユ宮殿よりも美しく管理されているように思えました。室内の写真撮影は禁止されていますので、お庭の写真を載せます。

薔薇の生垣の向こう側にマリアテレジアイエローがみえます。

Travel,2017/06 ハンガリー・オーストリア・チェコ このページの一番上へ

コメント

  • anneさん、こんにちは。

    憧れのウイーン、ハプスブルグ家、マリーアントワネット、モーツアルト、マリアテレジアなど、華やかな歴史の中で、生きていた有名な人物に関する建物は、どれも素晴らしくて、見ていてため息がでます。

    以前、NHKでシェーンブルン宮殿の特集をしているのを見たら、余りにも素晴らしくて驚きました。

    実際に見たら、もう興奮してしまいそうです。
    いつか訪れてみたい場所のひとつですので、楽しく拝読しました。

    街角のお花屋さんは、雰囲気があって良いですね。

  • アンさん コメントありがとうございます。
    お返事遅れてごめんなさい。

    ハプスブルグ家の本拠地ウイーンのシェーンブルン宮殿はずっと行きたくてやっと叶いました。朝から興奮気味です。

    よく比較されるヴェルサイユ宮殿と同じように、内部の調度品や装飾はすばらしいものでした。
    ただ庭園は彫刻や噴水もなくて装飾が少なくどちらかと言えば簡素な感じでした。
    宮廷の主の嗜好の違いが出てくるのでしょうね。
    写真の通り空は時々黒い雲に覆われて不穏なお天気で、帰りには大粒の雨粒が落ちてきました。

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