名残の紅葉 長瀞
♪花の長瀞 あの岩畳
と「秩父音頭」に唄われた「長瀞」で紅葉狩りをと出かけてみましたが、時既に遅く落ち葉を踏み敷く散策になってしまいました。
残っている葉も強い風がくればあっという間に散ってしまいそうですが、それでも晩秋の陽に照らされて輝いてみえます。

♪花の長瀞 あの岩畳
と「秩父音頭」に唄われた「長瀞」で紅葉狩りをと出かけてみましたが、時既に遅く落ち葉を踏み敷く散策になってしまいました。
残っている葉も強い風がくればあっという間に散ってしまいそうですが、それでも晩秋の陽に照らされて輝いてみえます。
3月27日に江戸を発った芭蕉主従は4月1日の午後日光に到着、「御宮拝見」し、翌日今市を経由して玉入に入ります。
「曽良日記」に
一 同晩 玉入泊。 宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。
と記されているように、とった宿が良くなくて急遽名主の家に一泊したようです。
この名主であった「尾形氏」の子孫は医業に携わったようですが、今はこの地にないようで、「芭蕉一宿之跡」という石碑が建つのみです。周囲は茫々とした草叢となっていて、これもまた「無常」を感じさせます。
間々田に一泊した芭蕉主従は、小山から飯塚を通り壬生へと向かいます。
曾良日記に
一 廿九日、辰ノ上尅マゝダヲ出。一 小山ヘ一リ半、小山ノヤシキ、右ノ方ニ有。一 小田(山)ヨリ飯塚ヘ一リ半。 木沢ト云所ヨリ左ヘ切ル。一 此間姿川越ル。 飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。 飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、
前方後円墳の「後円」部分に神社が祭られていましたが、この後円部分は「前方」部分よりも更に盛り土があって高くなっていました。
前方後円墳の写真は俯瞰のものしか見たことがなくこういう高低差があるものとは知りませんでした。写真は「後円」にある神社から「前方」部分を写したものです。
3月27日に江戸を発った芭蕉主従はその日春日部に宿をとり、翌3月28日は栃木県南部の間々田に宿をとります。
曾良日記に
廿八日、マゝダニ泊ル。 カスカベヨリ九里。 前夜ヨリ雨降ル。
とあります。
句碑の建つ間々田の八幡神社は紅葉に染まり始めていました。
この古い句碑から、俗談平話に陥った俳諧でなく芭蕉の俳諧に学ぼうという流れがこの地でもあったことが偲ばれます。
秋の薔薇が盛りです。
花数は春に比べると少なく小さめの花ながら、秋の真っ青な空に鮮やかな色合いが映えます。
上はアブラハム・ダービー、下はマリア・テレジアです。
一見すると同じようにみえるロゼット咲きですが、花弁の組み方に個性があり面白いものです。