アフリカ大陸の北西端、イスラムと砂漠の国モロッコを訪ねる。

( Page 1 / 2 )12

首都ラバト

この旅行の最終日を迎えました。

最後の観光はモロッコの首都ラバトです。首都でありながらカサブランカに次ぐ第二の都市ということです。

前日に市内の散歩に出かけてみましたが、観光スポットはそう多くはないようで地味な感じの街でした。

12世紀に建設が始められたものの半分で放棄されたままの「ハッサンの塔」です。ここには過去にモスクがあり、林立する柱はそのモスクの柱だそうです。

同じ敷地内にある「モハメッド5世の霊廟」の前の衛兵です。お馬さんはじっと立っているのは辛そうです。モハメッド5世はフランスから独立を勝ち取った前国王だそうです。今のモロッコの建国の王ということで尊敬を集め、この立派な廟が造られたのでしょう。

         中に収められたモハメッド5世の絢爛たる棺です。

郊外の「ウダイヤカスバ」です。このカスバは住居のほかに商店もある大きなものでした。ゆっくり廻って現地の人の暮らしぶりも見たかったです。

翌日ラバトからカサブランカに移動しカサブランカ空港か帰国の途につきました。

全10日の初アフリカでしたが、まだ発展地上の混沌とした中に溢れる活気を感じる旅になりました。

 

Travel,2014/06 モロッコ このページの一番上へ

1日で世界遺産を二つ

ホテルでの朝食後ヴォルビリスに向かいます。

ヴォルビリスは紀元前40年ごろローマの属領となり、モロッコ最大といわれるローマ遺跡。周囲は野原でそこに突然出現した感じですが、入り口付近は最近整備されたようです。

 床に張られたモザイクのタイルは今は色あせていますが、当時の豪華な邸宅を想像させます。

 ここも8世紀にイスラムの支配を受けイドリス朝の首都となり繁栄したそうですが、後18世紀の地震で崩壊、街は埋没したということです。

次に訪れたメクネスは17世紀ムーレイ・イスマイルの時代に栄えた都だそうです。古都として世界遺産に登録されています。

北アフリカで最も美しい門といわれる「マンスールの門」。青と緑が基調のタイルで飾られています。確かに美しいのですが、ツアーも8日目でモザイクタイルも少々食傷気味・・・。

 そのムーレイ・イスマイルの墓が安置された「ムーレイ・イスマイル廟」です。ここの外壁は新しさが目立ちましたが、中には当時の美しいモザイク装飾が施されているとのことです。

Travel,2014/06 モロッコ このページの一番上へ

迷宮都市 フェズ

モロッコ最古の都として知られるフェズの旧市街メディナは無数の小路が入り組んだ迷路のような場所です。

道幅2メートルから3メートルほどの小路の両脇には住宅や小さな商店がびっしりと建ち並びそこを荷物を運ぶロバが通ります。

メディナの入り口に建つブールジュード門は青色のタイルを基調としたタイルのモザイクが美しい門です。

メディナの中にある「アッタリン神学校」です。漆喰に彫られた文様や美しい色合いのタイルで装飾された壁など見応えのあるものでした。  

最近モロッコの革製品を目にすることがありますが、フェズのメディナの中に皮なめし工房があります。皮の臭気を消すためでしょうか、ハーブを配布され屋上まで昇ると眼下に皮を染める作業場が見渡せます。建物内は製造された革製品が天井から隙間なく展示され圧巻です。

フェズの中の民家でハーブティーをいただきました。生のハーブだけでなく乾燥させたハーブもありました。生のほうがやはり香りは良いようです。

メディナはゆっくりと歩けばきっととても面白い場所ではないかと思いますが、旅行者が気ままに歩くのはとても難しいでしょう。

フェズのタイルを焼く技術が食器や飾り皿などの製作に生かされ郊外に陶器工場があります。男性女性の職人がそれらの製品に手描きで装飾を施しています。フェズブルーと呼ばれる紺色が基調のようで私もその中から記念にカップ&ソーサーを求めました。

 

Travel,2014/06 モロッコ このページの一番上へ

砂漠の朝日は黄色い・・・

サハラ砂漠の入り口の街エルフードからは4WD車に乗って1時間、礫砂漠から砂砂漠と変わっていく砂漠地帯を往きます。めざすはメルズーガ砂丘。砂丘で日の出を観る為に砂漠の中に忽然と現れた感じのオーベルジュに宿泊です。オーベルジュとはフランス発祥の宿泊施設を備えたレストランのことだそうです。

写真ではなかなか良い感じなのですが

多分自家発電のため中は薄暗く料理の色も判然としない夕食となりました。

部屋に戻りシャワー中に電気が消え、準備した懐中電灯が役に立ちました。エアコンはありましたが、そういう電力事情なのでただの飾りだったようです。砂の侵入を防ぐためでしょうが部屋には小さな窓がひとつだけ、しかも建てつけが悪く開きません。従って蒸し風呂と化した部屋で汗びっしょりの一夜になりました。なかなかできる経験ではありません。

夜明け前真っ暗な中期待のらくだに乗って砂丘を往きます。ひとこぶラクダの背に数枚の毛布のようなものがかっていてそこにヨイショと乗るのです。ラクダは長い前足を折って乗せてくれますが立ち上がるときはガクンガクンと衝撃がありました。砂丘をゆっくりゆっくり歩くラクダの背中は悪い乗り心地ではなく、後ろのラクダが時々背中に頭を摺り寄せてくる感触も楽しいものでした。

1時間弱で砂丘の頂上に到着、朝日が昇るのを待ちました。

砂埃の所為か地平線辺りはぼーっとかすみ昇ってきた太陽は白茶けた黄色に見えました。

Travel,2014/06 モロッコ このページの一番上へ

カスバ街道を往く

前日カスバ街道の起点近くのワルザザードに宿泊し、早朝からアイト・ベン・ハッドゥに向かいます。アイト・ベン・ハッドゥは要塞化された村クサルのひとつだそうです。特別な史実はないのですが、「アラビアのロレンス」や「ハムナプトラ2」などのロケ地として有名です。そして1987年に世界遺産に登録。

赤い岩肌がむき出しになった小高い丘のような風景は異様です。

頂上に登ると眼下に一帯の風景を見渡すことができ要塞として機能していたことがわかります。

カスバとは原住民ベルベル人が外敵の侵攻から身を守るために住居の周囲に塀をまわし造った要塞のことです。そのカスバが多く残るのがティネリールからエルフードへの街道で、これがカスバ街道とよばれているようです。♪どうせカスバのよーるにさく~・・・と歌われたカスバの雰囲気はどんなものかしらと興味がありましたが、それはアルジェリアが舞台のようです。

カスバ街道から少し北に寄り道、トドラ渓谷です。両側にそそり立つ岸壁に圧倒されます。

ここで、小学校高学年くらいの少年が草を編んだらしい栞のようなものを観光客に売り歩く姿がありました。観光で生きる人の多いお国柄ですが、ちょっと考えさせられます。

カスバ街道の終点であり、サハラ砂漠の入り口の街エルフードに向かいます。その途中の地下水道跡を見学。ベルベル人たちはアトラス山脈からの水を砂漠の地下に造った水道で引いていたそうです。今は使用されていません。

 

Travel,2014/06 モロッコ このページの一番上へ
( Page 1 / 2 )12