アフリカ大陸の北西端、イスラムと砂漠の国モロッコを訪ねる。

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エネルギーと喧騒の街 マラケシュ

モロッコ中部にあるマラケシュは11世紀後半イスラム王朝の都として築かれ、サハラ砂漠へのキャラバン隊の基点として栄えた街です。

旧市街の中心に、空間そのものが世界遺産に登録されているジャマエルフナ広場があります。果物や雑貨を売る露天や椅子ひとつ置いてタトゥーを入れる客を待つ女性など雑多な店が並びます。笛でコブラを躍らせるまるで絵本の挿絵のような店もありました。またスークには所狭しと商品を置いた店がひしめきあっています。

観光用の馬車に乗って旧市街の外側城壁を一巡り、馬の○を受ける袋には笑ってしまいました。

77メートルのミナレットのクトゥピアはマラケシュのシンボルです。

そしてあちこちの高い建物の壁面や鉄塔に巣作りをしているのは、コウノトリです。何故このような人の多い場所にと不思議です。

王族の住居だったバイヤ宮殿の中庭の噴水は、以前見たスペインのアルハンブラのものと良く似ています。愛妾用個室の壁面や天井のモザイクは大変美しいものです。

  

写真はサード朝の王侯貴族の墳墓群です。ここのモザイクも見応えがありました。

12世紀に造られたメナラ庭園。貯水池とそれを囲む広大なオリーブの林が広がっています。事前に見た資料そのままの風景でしたが、感動は今ひとつ。

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フェニキア人の港町エッサウィラ 

アフリカ大陸北西岸、北東から南西に細長く延びたモロッコの海岸のちょうど真ん中辺りのエッサウイラ。

地中海東岸シリアの一部に居住していたフェニキア人は航海技術に優れていて、紀元前3000年頃から大西洋からインド洋に至る海域で活躍していたといわれます。ここエッサウィラも彼らが造った街で世界遺産に登録されています。

スカラと呼ばれる要塞です。見張り台で海に向けた大砲が残されていました。

今は漁港としても機能しているらしく沢山の漁船が舫ってあります。

 

大西洋は霧が出ていて大海原を見渡す景観には出会えませんでした。


 

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山羊も大好きアルガンの木

モロッコの特産品に「アルガンオイル」があります。モロッコの一部地域にしか生育していないアルガンの種の仁を絞って採るオイルで、食用はもちろん化粧品に使われ古くは薬用にも用いられたそうです。木には棘があるので人が手で実を採るのは難しいため、昔はその実や葉や樹皮を好んで食べる山羊の排泄物の種を人が拾ってオイルを採っていたそうです。

今は山羊たちは観光用に木に登らせられています。道路際の数本の木にだけ山羊が登っていてその下には写真撮影料金を徴収する人の姿がありました。

100㎏の種から採取されるオイルはわずか一ℓというこの貴重なオイルは全て手作業で生産されているそうです。

種を砕いてその中から仁を取り出します。

次に石臼で仁を砕きそれを揉んでから絞ります。どの作業もベルベル人女性が携わっていましたが相当に力が要る作業のようです。搾りかすからはローストしたアーモンドのような香ばしい香りがしていました。

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カサブランカに憧れていましたが・・・

私の生まれる前にアカデミー賞を受賞した大昔のアメリカ映画「カサブランカ」は第2次世界大戦中のフランス領モロッコのカサブランカで展開されたラブロマンスです。映画のイメージと共にイスラムの「モロッコ」は私にとっては不思議のヴェールに包まれた魅力的な国です。

しかしカサブランカは明るい太陽の下その名前の通り白く輝く近代的な貿易都市でした。観光のポイントになっている「ハッサン2世モスク」は20年ほど前に作られたものです。内部に2万人、前の広場に8万人収容できるモロッコ最大のモスクです。

写真左奥には大西洋の海原が広がっています。広場から大西洋を見おろした時はちょっと感動でした。

街の中心モハメッド5世広場です。南国のムード溢れる近代的な空間になっていました。

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