季節を感じられる国内の旅行も楽しいものです。

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東北の旅6 その名も不気味 恐山

死者の霊を呼び出すという「イタコ」で有名な「恐山」に向かいました。地元では「人は死ねばお山さんさいぐ」と言われているとか。死者の霊を呼ぶ白装束のイタコの方言の節回しや遺族の切ない表情を何度かテレビで見て以来、その雰囲気を感じてみたいと思っていました。

恐山は下北半島中央部にあり延々のドライブです。強い風が吹くのか風力発電の施設が何箇所かで見られました。

ここ恐山は、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場のひとつで慈覚大師の開山と伝えられているそうです。立石寺の開祖も慈覚大師でしたから、彼は東北一円を巡っていたということでしょうか。左に見える小屋は誰でも入れる温泉です。

風車は輪廻の象徴でもありお花の代わりに供えられたものだそうです。からからと回るその音と鮮やかな色は灰色の風景の中で独特な雰囲気を醸しだしています。

宇曾利湖が見えます。

亜硫酸ガスが噴出している所もあって刺激臭が鼻をつきます。長居をすると気分が悪くなりますが、それを死者の祟りと感じる人もいるとか。イタコはお祭りの時に集まるということでした。小さなテントを張ってその中で口寄せするそうです。

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東北の旅5 太宰治の故郷 金木

私が初めて太宰治の作品と出会ったのは中学生の時です。夏休みの宿題の読書感想文を書くために読むのに手間取らない短いものを探していました。以来幾つかの作品を読んで、今回の旅行では是非金木を訪れたいと思いました。 ここ「斜陽館」は大地主で金融業であった太宰の父親が1907年に現在の金額に直すと4億円をかけて建てた豪邸です。太宰はここで六男として生まれ育ちました。

   ここは台所に面した板の間です。廊下を隔てたその隣は「常居」といって家族の居間のような部屋です。ここに大き目の引き出しが備えてあり太宰もその一つを自分用に使っていたそうです。 父親の没後人手に渡り長い間旅館「斜陽館」として営業されていましたが1996年に金木町が買い取り太宰治記念館となりました。 旅館の時は改装されていましたが今は復原されていて当時の豪華な設えがそのまま見られます。   記念館から程近い場所に、疎開した太宰が家族と共に過ごし沢山の作品を執筆した家が残されています。絵葉書ではこんな風です。

太宰が使っていた文机の前に座ってみました。不思議な気分です。

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東北の旅4 十二湖&五能線沿線

世界遺産となっている「白神山地」を少しだけ体験できる「十二湖」を目指します。

十二湖とは青森県側の白神山地西部に位置するブナ林に囲まれた湖沼群です。江戸時代に発生した大地震による山崩れによってできたといわれています。その際、大小33の湖沼ができましたが、崩山から眺めると12の湖沼が見えたことから十二湖と呼ばれるようになったということです。

ビジターセンターです。

散策コースはよく整備されていました。深いブナの自然林が真夏の太陽を遮り暑さを感じさせません。

まず「沸壷の池」に出会いました。なんという水の色でしょう。吸い込まれるようです。

透明度が一番高いという「青池」です。ネーミングは少々芸がないような感じがしていましたが、実際に目にすると本当に青くてなるほどと思いました。トレッキングの人たちが群がり湖面を見つめていました。

ここを見たので事前の予定の「ミニ白神」はカットです。

私が見た中では一番大きかった「鶏頭場の池」です。ここは遊歩道の入り口で駐車場に近く(私は逆コースで周ってしまいました)深山の趣はありません。

十二湖を後にし、景観で有名な五能線に沿って走ります。

深浦から鯵ヶ沢に亘っては江戸時代の地震で隆起したと伝えられる海岸段丘が見られます。その広さから「千畳敷」と呼ばれますが、満潮にあたったのか実感できずちょっと残念。

道路のそこここに写真のような施設が見られました。

防音ではないだろうし防風林は海沿いにあるしと頭をひねりましたが、答えは多分防雪ではないでしょうか。

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東北の旅3 男鹿半島 日本海の海の色

予定にはなかったのですが、時間が余ったので男鹿半島をドライブしました。

男鹿半島のほぼ先端にある「男鹿水族館GAO」の巨大水槽に泳ぐ魚たち。

 

別の水槽でゴマフアザラシがこちらめがけて泳いできました。愛嬌のある顔でサービス精神もあるみたいです。

 

水族館前に広がる日本海の水の色は透き通った深い藍色とでも言いましょうか、空の色よりもずっと濃い吸い込まれるような魅力的な色です。

 

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東北の旅2 角館

佐竹藩の城下町だった「角館」は東北の小京都と呼ばれ観光客が絶えないということです。特に桜の季節は多くの人で賑わうと聞きますが、さすがにこの暑い季節には人影もまばらです。

 

完全な形で残る武家屋敷は6軒ほどだそうですが、町全体が往時の雰囲気を今に伝えています。住む人のない家もありますが、今も居住している家もあります。また新しく建て替えたらしい家も街の景観を壊さない配慮がなされていました。

 

 

見学した「石黒家」です。丁寧に案内してくださいました。

 

 

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