梅雨の晴れ間の温泉行き その2
飯坂温泉に宿をとりゆっくりした翌日周辺を観光しながらの帰途です。
飯坂温泉の「旧堀切邸」。
飯坂町を流れる赤川の氾濫を、堀を切って被害を食い止めたことから堀切と称したと言われる堀切家は、日本の近代政治史にその名を残す善兵衛(衆議院議長・駐イタリア大使)、関東大震災後の東京復興に尽力した善次郎(東京市長・内務大臣)、福島経済界に大きな役割を果たした久五郎(衆議院議員)を輩出しました。(福島市観光課)
展示物の中で眼をひかれたのは松平定信の書による扁額です。老中の職を辞し領地白河に戻ってきた時ここを訪れしたためたものだそうです。なかなかの達筆です。この額を掲げた詠帰亭はもうありませんが、この額だけは今に伝えられています。ここに展示されていたのはレプリカだそうですが。
三春の滝桜を一度は見たいと思いつつまだ果たせていません。今は葉桜もとっくに通り越しているでしょうが、ちょっと寄り道してみました。
思った通り人影もなく、滝桜は広い窪地の真ん中で重そうに葉を支えています。
出かけるまでその所在を全く知りませんでしたが、あじさい祭りにひかれて太平山(おおひらさん)に寄ってみました。
第53代淳和天皇の御代、風水害や疫病で人々が苦しむさまに淳和天皇は御心を痛められ、「下野国(今の栃木県)の霊峰三輪山に天下太平を祈る社を造営せよ」との詔を賜り、日の神であり太陽のように命を育む「天照皇大御神」、月のように人々に安らぎを与える「豊受姫大神」、星のように人生の道案内をしてくださる「瓊瓊杵命」、この「日・月・星」の御神徳をあらわす三座の神様をお祀りするために太平山神社が造営されました。(福島市観光課)
千段続く参道の入り口から道の両側におよそ2500株のあじさいが植えられています。あじさいには詳しくありませんが、咲き始めの白や緑を帯びた色合いは見ていて飽きません。
上りきると本殿到着です。