季節を感じられる国内の旅行も楽しいものです。

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連なる峰々 秩父 

標高583メートルの蓑山頂上の「美の山公園」からの景観です。今回は車での簡単登山でした。お天気は申し分なかったのですが、ガスがかかって残念ながら富士山は見えませんでした。

     

お隣の山のゴルフコースが見えました.

             

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侮るべからず筑波山

関東では古くから親しまれてきた筑波山。標高877メートルの女体山にはロープウエイで、標高871メートルの男体山にはケーブルカーで気軽に登ることができます。つくばエクスプレスの開通でアクセスも簡単になりました。

今回はつつじヶ丘から弁慶茶屋跡までの「おたつ石コース」そこから女体山山頂までの「白雲橋コース」登攀(おおげさな・・・)その後御幸が原経由で男体山登攀を試みました。

     

ロープウエイのコースの横を登っていくのですが、巨石が重なった登山道は何箇所かでは四足歩行を余儀なくさせられ、平地歩行も危うくなりつつある身には思った以上の難路でした。

     

女体山山頂および男体山山頂まで足元だけを見つめて、休憩を入れつつ4時間ほどの行程をこなした後はそれなりの達成感が。この気分が味わいたくて人は山に登るのでしょうか。

     

女体山山頂からは関東平野を一望する景観が開けるはずでしたが、ガスがかかり残念ながらかないませんでした。

     

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おくのほそ道ちょっとだけ旅 その5 毛越寺南大門 (岩手・平泉)

中尊寺の近くにありながら、芭蕉が訪れなかったらしい毛越寺。芭蕉は一関から日帰りでこの地を訪れたということで平泉滞在は3時間ほどであったと言われています。ここ毛越寺を訪れる時間的な余裕がなかったのかもしれません。

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。

この「大門の跡は一里こなたにあり」の解釈は、毛越寺の南大門の跡を中尊寺の大門と思って光堂までを一里と言ったものなのか、あるいは数丁しかない毛越寺南大門から館跡までを誇張して言ったものなのかは分かれるところであって、はっきりしないというのが定説のようです。

いずれにしても、この「大門」は毛越寺の南大門に関係があるということで、その写真を一枚。

毛越寺は立石寺、中尊寺と同じく慈覚大師を開基とし、塔山を背景にした典型的な浄土庭園で知られています。大泉が池に山からの水を取り入れる「遣水」の遺構が今も完全な形で残っています。9月もまだ10日ほどを残しているのに、もう紅葉の兆しがみられることに北国を感じました。

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奥の細道ちょっとだけ旅 その4 中尊寺金色堂(岩手・平泉)

五月雨の降のこしてや光堂

中尊寺建立から565年後に、芭蕉はこの地を訪ねます。この時中尊寺創建当初の建物は火災により二堂しか残っていませんでした。金色堂はそのうちの一つで、芭蕉が参拝したのはこの金色堂だけだったということです。

金色堂には藤原氏初代清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体と、四代泰衡の首級が収められているそうです。

堂全体が金箔で覆われ四本の巻柱や須弥壇、長押まで夜光貝の螺鈿細工が施され、また透かし彫りの金具や漆の蒔絵などでお堂全体が一つの工芸品のようでした。芭蕉も

兼て耳驚したる

と書いています。

そしてこのお堂を風雪から保護するために「鞘堂」が造られ、お堂はその中に収まっていました。芭蕉も鞘堂を造った昔の人の知恵に感心したのかもしれません。

七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢と成るべきを、四面新たに囲て、甍覆て風雨を凌。

芭蕉が目にした「鞘堂」は現在は金色堂から少し離れたところに移されています。

現在は新たに鉄筋コンクリートの堂々とした覆堂が造られて、金色堂はその中に収められています。

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奥の細道ちょっとだけ旅 その3 無量光院跡 金鶏山(岩手・平泉)

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。

芭蕉は高舘に上った時に、金鶏山のことを書いていますが、高舘から西方にある金鶏山は、今は木立に隠れて高舘から望むことはできません。

金鶏山は藤原氏三代秀衡が富士山に似せて築いた山で、平泉鎮護の為、雄雌の金の鶏を作り埋めたと言われる山です。

高舘を降りて南に500メートルほど歩くと、後ろに金鶏山を控える無量光院跡に出ました。ここ無量光院は秀衡が、宇治平等院を模して建てたと言われ今は遺構のみが残っています。

金鶏山は高さ100メートル足らずとのことですが、それでも山を作ってしまうという当時の藤原氏の隆盛が想像できます。

本堂と東中島の建物の中軸上に金鶏山の頂上が位置して4月と8月には金鶏山の頂上に沈む夕日が見られるそうです。

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