奥の細道ちょっとだけ旅 その4 中尊寺金色堂(岩手・平泉)
五月雨の降のこしてや光堂
中尊寺建立から565年後に、芭蕉はこの地を訪ねます。この時中尊寺創建当初の建物は火災により二堂しか残っていませんでした。金色堂はそのうちの一つで、芭蕉が参拝したのはこの金色堂だけだったということです。
金色堂には藤原氏初代清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体と、四代泰衡の首級が収められているそうです。
堂全体が金箔で覆われ四本の巻柱や須弥壇、長押まで夜光貝の螺鈿細工が施され、また透かし彫りの金具や漆の蒔絵などでお堂全体が一つの工芸品のようでした。芭蕉も
兼て耳驚したる
と書いています。
そしてこのお堂を風雪から保護するために「鞘堂」が造られ、お堂はその中に収まっていました。芭蕉も鞘堂を造った昔の人の知恵に感心したのかもしれません。
七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢と成るべきを、四面新たに囲て、甍覆て風雨を凌。
芭蕉が目にした「鞘堂」は現在は金色堂から少し離れたところに移されています。
現在は新たに鉄筋コンクリートの堂々とした覆堂が造られて、金色堂はその中に収められています。