日々目にするあんなことこんなこと

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熊のおめざ

庭の隅にいつごろからか蕗が自生するようになりかすかに春を感じる今頃、毎年蕗の薹が顔を出します。苞が開いていないまだ蕾の硬いうちに収穫、そのほろ苦さが珍重されるようです。しかし我が家ではその微妙な味わいが評価されなくて冷遇されています。

     

写真のものは放置した結果すっかり苞が開き蕾も大きくなってきています。こうなるといわゆる「薹が立った」状態で食材としての価値もなくなります。

因みに冬眠から覚めた熊が初めて口にするのはこの蕗の薹だそうです。その苦さで頭をすっきりさせるのでしょうか。

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朝陽に煌く

節分の数日前底冷えの夜の翌日、ウォーキングコースの途中の畑の霜柱です。暖冬といわれる昨今、こういう季節の風物は捨てがたいものがあります。時間がやや遅かったので融けはじめているのが少々悲しいですが。やはり「ふゆはつとめて」ですね。

     

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小松菜収穫

10月にさつま芋を掘りあげた後に小松菜を蒔きました。3ヶ月経過して本日初の収穫です。生育が不揃いでまだ小さなものもありますので、大きなものを選んで抜き取りました。

江戸川区のホームページに

小松菜の原産地は遠い遠い南ヨーロッパ地中海沿岸だと言われています。 それが中国などを経て、ずっとずっと東のわが町江戸川区に来たのは鎌倉時代のことだと言い伝えられています。
享保4年(1719年)、将軍徳川吉宗が、鷹狩の際、香取神社(中央4-5-23 旧 西小松川村)に立ち寄られました。 そのときの神主、亀井和泉が、これといって差しあげらるものも無かったので、餅の澄まし汁に青菜を少々いろどりにあしらって差し出すと吉宗公はたいそう喜ばれて、「この汁の菜をなんと申すか」と訪ねられました。
返事にこまった神主に「それではここは小松川だから小松菜と呼べ」と命名したということです。 

とあります。

これまでに数度蒔いた経験があり、特に気を遣わなくても元気に育ってくれました。私向きの作物です。ほぼ無農薬ですのであちこち穴があいていますが、気にしないでいただくことにします。

     

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収穫はしたけれど

9月に蒔いた大根がいよいよ収穫の時を迎えました。葉は青々とみずみずしく土から顔を覗かせた大根も八百屋さんで見るものにひけを取りません。葉を持って引っ張ると・・・あれ?殆ど抵抗なくすっと抜けました。それもそのはず・・・短いのです。確かに短めの種類を蒔いたのですが、それにしても短すぎます。 畑を深く耕さなかった手抜きがばれました。

     

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ガラスカーテンウォールから差し込む光 国立新美術館 

ピカソ展を見に、開館してまだ間もない国立新美術館に初めて出かけました。

       

1900年にパリに出てきた頃の初期の作品から、亡くなるまで91年の生涯を通した作品が170点展示されています。ピカソの作品を語ることは私には荷が重いので、それは置くとします。

新美術館の建物は黒川紀章氏の設計で特徴のある外観です。ガラスカーテンウォールというのだそうですが、壁面が壁でなくガラスで覆われしかもそれが波のうねりのように曲線を描いているのです。

エントランスホールは天井高が21メートルもあり、ガラスを通して太陽の光が差しこみ開放感溢れる空間になっていました。

       

       

帰りにぶらぶらと散策していると神社で今は珍しくなった綿帽子の花嫁さんの結婚式に遭遇。どうぞお幸せに。

       

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