芋より土 この感触がたまらない
秋晴れのさわやかな一日、収穫の日です。おとなはいくつお芋がとれるかわくわく、1歳児は土をいじれることにわくわく。
シャベルの使い方を教えられたわけでもないのに、うまく手首を返して土をすくっては落としすくっては落としを繰り返します。農耕民族の血が流れているに違いありません。

秋晴れのさわやかな一日、収穫の日です。おとなはいくつお芋がとれるかわくわく、1歳児は土をいじれることにわくわく。
シャベルの使い方を教えられたわけでもないのに、うまく手首を返して土をすくっては落としすくっては落としを繰り返します。農耕民族の血が流れているに違いありません。
語学学校に通う2週間はホームステイでした。コヴェントリーの中心街からバスで10分ほどのメリーハーベストストリートにあるニューマン家の2階の1室にお世話になりました。
メリーハーベストストリートを毎日のように通っていくアイスクリーム売りの車です。日本で言えば石焼芋売りの車というところでしょうか。
通学に毎日使ったバスストップは写真の公園の脇にありました。広いこの公園には池があって鴨が住みついていました。親子の鴨が池の畔をよちよち歩き回るほほえましい光景を何度も目にしましたし、そのそばを犬を連れて散歩する人や子供たちの遊ぶ姿もあり、整った住環境をうらやましく思いました。
今日から未整理だった以前の旅行の記録を書いていきます。記憶も遠くなり写真も余りないのですが足跡を残しておきたいと思います。
1999年夏 英国コヴェントリーの語学学校に入学して2週間語学研修の真似事をしました。その後10日間湖水地方からエジンバラ、ヨークを経てロンドンというコースで周りました。合計26日間という忘れられない思い出多い夏になりました。
コヴェントリーはロンドンの南西に位置しロンドンから列車で1時間余の都市です。バーミンガムからは20分程のイギリス7番目の都市ということでした。
語学学校はコヴェントリーの中心になっているカシードラルの近くにありました。このカシードラルは第二次世界大戦でドイツの爆撃にあい全壊、今は尖塔と外壁のみを残しています。日本ならば取り壊して建て替えるところでしょうが、残しておくというのは国民性の違いでしょうか。
近くのサンドイッチ屋さんで好みのサンドイッチを作ってもらって、カシードラルの中でランチするのが日課でした。
10年以上前に鮮やかな紅色に惹かれて購入したつる薔薇です。小さな苗でしたので、下に植えたどんどん殖える紫葉オキザリスに養分を取られたのかなかなか大きくなりませんでした。
ところが移植したとたんにぐんぐん伸び始めて今は薔薇の中で一二を争う強健さを示しています。四季咲き性も強くて春から秋の今まで花をつけ続けています。
「アルティッシモ」の名前の由来を初めて調べましたが、「イタリアの自治体の最小単位コムーネの一つで人口2263人」だそうです。フランスで作出されたこの薔薇に、なぜイタリアのコムーネの一つであるこういう名がつけられたのかはわかりません。作出者のどういう思いがこめられているのでしょうか。
思えば「プリンセス・ミチコ」と「プリンセス・チチブ」はイギリスで、「クイーン・エリザベス」はアメリカで作出されているのですから薔薇の世界では国の壁はないのでしょうが。
ちなみにこの薔薇は、最近惹かれている「スヴェニール・ダムール香りたつ愛の思い出シリーズ」の薔薇と同じくデルバール社の作品です。このアルティッシモが作出されてから40年、今大きく違うイメージの薔薇を作り出した作出家達のたゆみない努力が察せられます。
夏の間つる薔薇はぐんぐんシュートを伸ばしてくれます。これはつぎのシーズンのために大事に育てなくてはならないのですが、元気がよすぎると収拾がつかなくなることがあります。
風通しや庭の景観ということから、場合によっては何本も涙をのんで始末することになります。
冬になって枝の水分が少なくなり折れ難くなった時が剪定の適期ですが、今年はあまりに行儀が悪くそれまで我慢できません。目を遣るたびに気になって気になって。
意を決して剪定作業開始です。
古い枝を切り新しいものに更新していくのですが、古い枝は太くて鋏ではとても太刀打ちできません。とげも硬く毎度のことながら鮮血ほとばしる作業です。これは大げさですが、傷になどかまっている暇なくのこぎりと剪定ばさみで果敢に作業です。
一番目につく場所のつる薔薇2本分の剪定完了。写真は約3時間の戦果です。キモチイー!