いよいよマチュピチュへ
前日は宿泊のオリャンタイタンボへの橋がデモで封鎖され足止めされたために遅いホテル着でした。にも拘らず早朝の出発です。
インカレイルという列車でマチュピチュ村に向かいます。
列車内でサービスされたマテ茶です。
マテ茶は主に南米大陸南東部地区(アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ)で生産されている飲料で、モチノキ科の潅木(かんぼく)の葉や枝を乾燥し、粉砕、精製したものに熱湯を加えて飲用します。パラグアイのグァラニ族が、活力を与える不思議な木として飲用を始めたことが起源とされていて、ミネラル、特に鉄分とカルシウムの含有量が高く、ビタミンはAとBを多く含んでいます。葉緑素も豊富に含むことから、通称「飲むサラダ」と言われています。日本マテ茶教会HPより
マチュピチュへの入り口は1箇所、観光客で一杯です。世界遺産に登録され1日の入場者数は2000人とされていますが、実際は4000人~6000人だそうで、遺跡の荒廃が危惧されていると言います。
マチュピチュは
クスコの北西100km、ウルバンバ川の谷底から切り立った断崖の上にあるインカの都市遺跡です。
標高2280mで、谷底からは660mもの高さにあって麓からは存在が確認できず、「空中都市」といわれています。1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムが発見しました。
広さは5k㎡あり、半分は神殿、宮殿、居住区が占め、残りは斜面に段々畑が広がっています。
15世紀の中頃に建設され、5千人の人が暮らしていたと推定されています。 海外旅行準備室HPより
写真やTVで見るおなじみの光景を自分の目で確かめられて感慨があります。後方のワイナピチュ山、マチュピチュ山がこの空中都市を守っているかのように見えます。
かなりのアップダウンのある遺跡内に観光客の姿が見えます。混雑しています。遺跡内の道は大変狭いので一方通行で周ります。見落としても元に戻ることはできません。
ここに住んだ人々の食料を賄ったであろうこの段々畑、急な傾斜地に整備された畑での作業はさぞやきつかったのではないかと思います。
観光用に放牧されたリャマは人馴れしていて食べ物をねだるように近くに寄ってきます。アルパカは残念ながら目にすることはできませんでした。
遺跡全体を見渡せる「見張り小屋」です。心地よい風が吹き渡っていました。
以下観光案内のようになりますが。
マチュピチュ遺跡で最も高い位置にある日時計「インティワタナ」
夏至の日の出の位置を正確に示す「3つの窓の神殿」 でも窓は沢山あります・・・ 奥の方にあるのか又は聞き違いか?
夏至と冬至に窓から太陽がまっすぐに差し込む「太陽の神殿」
コンドルのように見える巨石が置かれている「コンドルの神殿」
およそ3時間の観光でポイントは見ることができましたが、インカの風の中に佇み往時を偲び感慨に浸るという訳にはいきませんでした。自分の勉強不足も反省です。

2016/10/03 (月) 3:22 PM
anneさん、こんにちは。
空中都市マチュピチュ、実際に見られてというより、行かれて凄いです~
列車で村まで行くことも驚きです。 バスなども走っているとは思えずに、ロバや馬車などで近くまでいき、あとは徒歩の旅なのかしら?と思っていましたので。(私の情報が遅れているのですね)
上まで行くには、時間的にはどのくらいでしょうか?
はるか昔に、こんな高い場所で生活を営んでいた人たちがいて、色々な文明を残し、歴史に刻まれた場所にいることが、夢のようですね。
私も一緒に同行した気分です。
次回も楽しみです。
2016/10/08 (土) 11:14 AM
アンさん コメントありがとうございます。
私のイメージではマチュピチュはアンさんと同じく秘境でした。しかしマチュピチュ観光の基地となっているオリャンタイタンボからマチュピチュ村までは私たちが乗ったインカレールのほかに数社が運行しています。1時間余でマチュピチュ村に到着です。駅前にはレストランやお土産屋さんが並び狭い道では肩がぶつかるほどの人の多さです。
着後バスで20分ほどでマチュピチュ遺跡の入り口に着きました。1日数千人が訪れる観光地なので徒歩でというのは遺跡の中だけでした。
急峻な山奥にこのような都市が何故築かれたのか諸説あるようですが、文字を持たなかったことが神秘性を高めたのではないかと思います。