奥の細道ちょっとだけ旅 その2 高舘(岩手・平泉)
先高舘にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高舘の下にて大河に落入。
「奥の細道」で記されているようにここに登ると、東側に眺望が開け大きく蛇行して流れる北上川が望めます。しかしこの下で北上川に合流しているはずの衣川ははるか向こうでその流れをみることはできません。
芭蕉も実際にその合流の様子を見たわけではなく、頭の中に描かれた地図からそういうふうに表現したのだと理解しました。
さても義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
夏草や兵どもが夢の跡
この地で義経主従が果ててから丁度500年後に芭蕉はこの高舘を訪ね、義経の悲運に落涙したといいますが、芭蕉が笠を敷いてしばし時を過ごしたくさむらはどこにもありません。
北上川はここ高舘にぶつかって蛇行するため浸蝕が激しく、芭蕉がここを訪れてからの300年で地形も大きく変わったようです。今は義経堂と芭蕉の句碑が建つほんの狭い一角になっています。
この義経堂は1683年伊達藩四代目伊達綱村が義経を偲んで建てたもので、その6年後に芭蕉はこの地を訪れたことになります。「奥の細道」では触れられてはいませんが、芭蕉もこの義経堂を目にしたことでしょう。