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ミルク色の薔薇  新雪

雪からイメージするような白さではなくて、ソフトクリームのような少し黄色みを帯びた柔らかな白の薔薇です。白いのですが、大振りな花やその丈夫さから冷たいという印象はありません。

毎年誘引するとアーチが傾くほどの太いシュートを何本も出してくれて、花数も多く香りがすばらしいので切花で室内を飾ります。

花が高い所に咲くので2階のベランダの格子の間からカメラを持つ手を伸ばして撮りました。朝日が当たるとコントラストが強すぎるので雲がかかるのを待って急いで撮った苦心作です。

大根の芽が出ました

きゅうりのつるの始末が終わってすっきりした家庭菜園になりました。何も植わっていない土色をみているとむらむらと土いじりがしたくなります。

それで、2週間ほど前に大根の種を買ってきて、蒔きました。袋の裏に書いてあったとおり畝幅60センチで2畝、株間30センチとって、1箇所に3粒蒔きです。

短めの大根を選びましたが、初めての経験でさてできるものかどうか?もう葉っぱが虫に喰われていますし・・・。

オウギュスト・ルノアール  本家よりも有名?

ピエール=オーギュスト・ルノアールは19世紀の後半から20世紀にかけてのフランス印象派の画家です。貧しい仕立て屋の6番目の息子として生まれた彼は13歳で陶磁器の絵付け職人となり4年間働きます。その後模倣画家として経験を積み20歳で国立美術学校に入学します。

 薔薇「オウギュスト・ルノアール」は1995年フランスのメイアンによって作出された薔薇です。

ここを書くに当たって「オウギュスト・ルノアール」で検索すると、出てくるのは薔薇の記事がほとんどで驚きました。およそ100年前の高名な画家は後輩の薔薇に凌駕されてしまいました・・。でも、美の探求者であった本家は薔薇の中で生き続けることを結構気に入っているかもしれません。

この薔薇は花弁数40枚~50枚、蕾のときはころっとして咲いたときの花のヴォリュームを想像させます。花径は10センチ程度濃いピンクで強い香りがあります。ゆっくりと蕾を開いていきますので長時間楽しむことができます。黒点病が入ってしまいました・・・。

  

ルノアールは風景画や静物も書いていますが、最も多いのは人物画で家族や知人を描いています。そういう身近な人を愛情込めた眼差しで描く作品に魅力を感じます。

この薔薇にも彼の描く人物画のふくよかなやさしい雰囲気を感じます。

秋来る  コンギク

台風が東の海に去り、昨日からは「秋」を感じる高く青い空。夏の草花が花数を減らしながら枯れかかってきている庭で、コンギクが満開です。

これは野原に自生するノコンギクの園芸種で、直径2センチほどのかわいい花です。ノコンギクよりも花弁数が多く紫の色も濃く、素朴ながらどこか華やかさを感じさせます。

落葉樹の下に植えてあるコンギクの写真を数枚撮るわずかな時間に藪蚊襲来で2箇所刺されました。蚊が腕に止まっているのはわかっていましたが、ピントを合わせていて叩けませんでした。痒いです。

 

おくのほそ道ちょっとだけ旅 その5 毛越寺南大門 (岩手・平泉)

中尊寺の近くにありながら、芭蕉が訪れなかったらしい毛越寺。芭蕉は一関から日帰りでこの地を訪れたということで平泉滞在は3時間ほどであったと言われています。ここ毛越寺を訪れる時間的な余裕がなかったのかもしれません。

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。

この「大門の跡は一里こなたにあり」の解釈は、毛越寺の南大門の跡を中尊寺の大門と思って光堂までを一里と言ったものなのか、あるいは数丁しかない毛越寺南大門から館跡までを誇張して言ったものなのかは分かれるところであって、はっきりしないというのが定説のようです。

いずれにしても、この「大門」は毛越寺の南大門に関係があるということで、その写真を一枚。

毛越寺は立石寺、中尊寺と同じく慈覚大師を開基とし、塔山を背景にした典型的な浄土庭園で知られています。大泉が池に山からの水を取り入れる「遣水」の遺構が今も完全な形で残っています。9月もまだ10日ほどを残しているのに、もう紅葉の兆しがみられることに北国を感じました。

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