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現地2日目 ノイシュバンシュタイン城へ

晴れのミュンヘンをスタートしたがフュッセンに近づくにつれて雲いきが怪しくなってくる。駅前からホーエンシュバンガウ村まではバスだが、乗り場がいくつかあってまごまごしていたら、東洋系のどこかチェジュウ似の年のころ三十代後半?の女性が笑顔で教えてくれた。聞けばコリアンとのこと。ホーエンシュバンガウ城とノイシュバンシュタイン城の見学では彼女とつかず離れずの距離で同行。

ルードヴィヒ二世は浪費家と言われて評判は芳しくなかったそうだか、皮肉なことに今彼が浪費したノイシュバンシュタイン城は観光資源になっている。彼は180cmのハンサム?だったが、41歳で謎の死を遂げる・・・。

ノイシュバンシュタイン城の入場はチケットにより時間が指定されていて門前で待っているときに雨に降られる。傘を使うことって今までなかったことだ。フランス人中年女性に話しかけられたがどうも在日2年といっているらしい。それにしては日本語が・・・。

場内は撮影禁止で薄れた記憶を辿れば、王のベッドに施されていた木彫が素晴らしかったことが印象に残る。ガイド本を読み直すと王座の間のシャンデリアが見所とあるが記憶がない・・・。

写真でよく見るノイシュバンシュタイン城はいわば裏側でまた急な坂道を登らないと撮影スポットに行けないことがわかった。

現地1日目 ミュンヘン(ミュンヘン泊)

AM9:55  成田発 フランクフルト経由 LH―711 LH-976 17:05  ミュンヘン着 空港から市内へ Sバーン20分

予定通りのフライトで夕方5時過ぎにミュンヘン着。空港から市内まで地下鉄での移動の予定でホームに下りる。チケットの自動販売機があったが、さて買い方わからず。パトーロールの若いポリスを見つけて買ってもらった。ありがとー。 

インターシティホテルは駅ビルの中にあり、ホテルからそのまま駅構内につながっているではないか。列車での移動の我々にはありがたい。ミュンヘンは列車の発着も多いので駅は大きくフラットな構造のため発着する列車のホームが見渡せる。やはりドイツ有数の都市であることを感じさせる。 

写真はホテルの窓からミュンヘン駅前の通りを臨む。

蔵の街栃木市を訪ねて 山車祭り

明治初めの頃から続くという山車祭り。現在は山車巡行は5年に一度になり、十台の山車が街をねり歩きます。歴史あるお祭りだという割には人出は多くなくゆっくり見物できました。

巴波川沿いに蔵造りの建物が並び往年の繁栄を偲ばせます。メインの大通りにも古い建物そのままの商店もあったりしてそぞろ歩きには楽しい街並みです。「蔵の街美術館」では「田中一村展」が開催されていて、これも見応えがありました。

現地7日目 エル・コラーノ遺跡へ(機内泊)

自由行動のこの日は、ナポリからヴェスヴィオ周遊鉄道に乗ってエルコラーノ・スカーヴィ駅を目指します。ナポリは治安が悪いという情報から今回はツアーにしたという経緯があり、少々不安を抱えながらの観光となります。

駅は照明が暗く心配が募りましたが、電車の行き先を調べている私たちに話しかけてくれたおばさんがいました。あちらはイタリア語、こちらは拙い英語でお互いの言葉は理解不能でしたが、それでも好意は伝わってきました。

エル・コラーノ遺跡は商業都市として発展したポンペイよりずっと小さく、別荘地だったそうです。公衆浴場跡や噴水を持つ家、葡萄酒の醸造の甕など当時の人々の生活の様子が垣間見られる遺跡です。

現地6日目 カプリ島へ(ナポリ泊)

ナポリの港からフェリーでカプリ島へ。良い天気に恵まれ初回で青の洞窟に入れる幸運を感謝です。島に着くと小船に乗り換えて青の洞窟へ。20人ほど乗った船が、青の洞窟の入り口で何艘も波に漂いながら順番を待ちます。ブランコに長時間揺られているようなもので相当参ります。

順番が回ってくると、今度は4人乗りのボートに乗り換えです。波に揺れる船から舟へというかなり危ない行為です。洞窟に入る際はボートの上で寝そべる姿勢でないと入れません。中に入るとあの写真でみる光景が。きれいなブルーが目に焼きつきました。ボートを漕ぐ船頭さんの歌うカンツオーネが十坪程の洞窟いっぱいに響き渡っています。

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