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サンフランシスコ チャイナタウン

古い歌で年齢がばれますが、♪サンフランシスコのチャ~イナタウ~ン♪ のそのチャイナタウンの入り口です。チャイニーズは最近どこの国でも観光の人を見かけますが、昔は海外に生活の場を求めていたのでしょう。

中国料理のレストランが多いのはもちろんですが、なかに中国食材の生鮮食品の店がありました。山積みされていた生のライチを求めて公園のベンチでおやつタイム。

入った中華レストランでは日本人の店員がいて、お味も食べなれたものでしたし周囲も似たような人ばかりでア今メリカにいるとはとても感じられませんでした。

           

霧のゴールデンゲートブリッジ 

霧 霧 霧です。20メートル先は霧の中にかすんでいます。残念です。

それなのに、車はお構いなしにビュンビュン飛ばしていきます。人ごとながら怖いです。

           

The plane has gone

帰国日にモントリオールからトロントに移動する国内便は なぜか1時間も遅れて離陸しました。トロントでの乗り継ぎは時間の余裕があまりなくてやきもきしました。

案の定トロントに着いたときは、出発1時間前はとうに切っていました。パニックです。

国内便のターミナルと国際便のターミナルはバスでの移動ですが、こういうときに限ってバスが来ません。あたふたして、やっと見つけたタクシーに乗車したはいいものの、今度は持ち合わせの現地通貨が足りずにカードで支払い、そんなこんなで空港内を走りました。

エアカナダの女性係員は無情にも「The plane has gone」とにべもない態度です。この言葉は忘れようにも忘れられません。このとき中から男性の係員が出てきたので、二人で知っている限りの単語を並べて、自分たちが原因で乗り遅れたのではないことを訴えました。必死です。

何とかわかってくれたようで、ホテルの利用券と食事券、洗面具を渡してくれてホテルへの送迎車の発着場所を教えてくれました。

空港近くのホテルで1泊してから帰国しましたが、それ以来現地通貨は使い切ってしまわないことや、乗り継ぎ便は十分な乗り継ぎ時間がある便をとるようになりました。

モントリオール オリンピックメインスタジアムへ 

1976年のオリンピック開催中にTVで毎日のように見ていたスタジアムへ行きました。当時あの空に向かってそそり立ったモニュメントのようなものは大変印象的でした。

あの内部はレールが敷かれて、ちょうど山に登るケーブルカーのような乗り物で展望台に上がれるようになっていました。

後で知ったことですが、モントリオール市はオリンピックのために膨大な赤字を計上して、その穴埋めに何年も税金が使われたということです。

市内散策のとき、美術館で「ピカソ展」に出会い鑑賞したのも思い出に残ります。

アンの世界 プリンスエドワード島

思えば数十年前に親から与えられた講談社の少年少女文庫「赤毛のアン」は、村岡花子さんがその後翻訳を重ねて出版されてきた赤毛のアンシリーズの第1巻でした。

成人してからその後のアンも読みましたが、なんと言っても最初に読んだ時の鮮烈な感動を超えるものはありません。

プリンスエドワード島が世界地図のどの辺にあるのかも知らなかった少女の頃、アンの舞台に行くことができるなんて思ってもいませんでした。海外旅行なんて夢の世界だった頃です。

グリーンゲイブルズは、作者モンゴメリーのいとこの家がモデルになったといわれていて、公開されていました。その家の周辺は作中の雰囲気を伝えるものがあり、なんだか懐かしさを覚えました。

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