運河の都市アムステルダム・古き良きヨーロッパ、ベルギーを訪ねる旅 -ゴッホ・フェルメール・レンブラント・ブリューゲル・ルーベンスを観る-

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6日目 6月11日(月) ルクセンブルグへ

ベネルクスというのはベルギーネーデルランドルクセンブルグの三国のことなので、この際ルクセンブルグも見ておかなくちゃと、私達はこの日早朝6:13ブリュッセル発のICに乗り込みました。何しろ3時間もかかるのです。お天気が悪くて気持ちが奮い立ちません。列車は変化の少ない牧草地帯を少しずつ登っていく感じでした。

 

9時過ぎにルクセンブルグ中央駅に到着です。首都駅ですがちょっとした地方都市の駅の感じです。ルクセンブルグは面積は神奈川県とおなじくらい人口は50万を少し超えるくらいですから納得です。

 

予定に従ってバスに乗り「ボックの砲台」に向かいます。

着いてみるとそこは断崖絶壁でなるほど地形を生かした要塞であったことがよくわかります。お天気が良ければすばらしい眺めでしょう。

 

18世紀にこの下に地下要塞が築かれ現在は観光地になっているのです。入場してみるとそこここに多分大砲を置いたであろう場所がありました。

 

ここに置かれた大砲はどこを狙っていたのでしょうか。

下の低地(グルント)をぐるっと散策といきたいところですが、この日日程が詰まっていた私達はそそくさとルクセンブルグを後にしました。

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5日目 ブリュージュへ

前日の夜ブリュッセルに移動してきた私達は、この日は朝からお天気が良かったことでブリュージュ行きを決めました。

ホテルはブリュッセル中央駅から階段を利用すれば5分足らずの好立地です。中央駅は首都の駅としては少々物足りないように感じます。

 

8:27のICに乗車、途中ゲントに停車し次はブリュージュです。約1時間で到着。

第一の目的である「カナルクルーズ」の乗船場所を探してちょっと歩き回ってしまいましたが、何とか辿りつきました。観光客でこみ合い、クルーズも団体用と個人用に分かれていて乗り場も違います。列に並んで順番を待ちました。絶好の観光日和です。

 

ぎっしりの乗客を乗せていよいよスタートです。

高さ122メートルの塔を持つ聖母教会が青空を背景にくっきりと見えます。

 

 運河に架かるたくさんの橋の下をくぐり抜けて船が進み、橋の上は観光客で溢れています。

 

白鳥が泳ぎ中洲には水鳥が羽を休めるのどかな風景です。

   

 

人形や花で飾られた窓辺は、私たち観光客を歓迎しているかのようです。

 

クルーズを楽しんだ後「メムリンク美術館」に向かいます。この美術館は12世紀に建てられた施療院の一部を利用したものだそうですが、相当古びています。しかし展示された宗教画にはふさわしいかもしれません。

ここには彼が描いたパネル画を貼り付けた「聖ウルスラの聖遺物箱」が展示されています。その描写の細かさには驚かされます。

ブルージュ駅に向かう帰途でワッフルを焼いている店があったので早速購入しました。ベルギーワッフルには2種類あって、これはもっちりとしてお腹にたまりそうな「リエージュワッフル」です。

 

ブルージュで思わぬ時間を取ってしまったので、次に行く予定のアントワープ、ノートルダム大聖堂の公開時間には間にあいそうにありません。でもまぁ行くだけは行きましょうということで15:05発の列車に乗車16:26アントワープ着。

アントワープ中央駅は100年以上前の建築で現在国の重要文化財に指定されているそうです。その作りのすばらしさには思わず見とれてしまいます。

 

 

ダイヤモンド取引の中心地であるので、駅前は宝石店が立ち並んでいます。

 

駅近くにあるはずの「ダイヤモンド博物館」に行くつもりでしたが、見当たりません。駅中のツーリストインフォメーションで尋ねると何と3週間前に閉鎖されたとのこと。駅前の再開発をしていましたのでその影響でしょうか。

ということでがっかりしてブリュッセルに戻りました。

アントワープには日を改めて挑戦することになります。

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4日目 シーボルト縁のライデンへ

前半のアムステルダム三泊の観光を終えて、次なる宿泊地ベルギーブリュッセルに向かいます。

この日はデン・ハーグのマウリッツハイス美術館でフェルメールの「真珠の耳飾の少女」を観るのを楽しみにしていたのです。しかし不運なことにそれは私たちとすれ違いに日本に貸し出されています。意気消沈してデン・ハーグ行きはカットです。

そして私たちが降り立ったのはライデンです。ライデンの駅は真新しく近代的な駅舎です。

 

しかし思わぬ伏兵が・・・。スーツケースを預けるコインロッカーが近代的過ぎて(?)手に負えません。いき会わせた日本人のご夫婦は諦めて去っていきましたが、私たちは粘って結局駅の係員に面倒をみてもらいました。

まず駅からすぐのナチュラリス(国立自然史博物館)に向かいます。

 

研究施設のような建物が続く間を抜けていきます。植木鉢が布やニットでディスプレイされているのが、コンクリートだらけの周囲の雰囲気を和らげています。ナチュラリスは一番奥で、外観は簡素な印象です。

 

新しい施設に豊富な資料が工夫されて展示されています。「トキ」がオランダの空を飛んでいました。

 

 

ライデンはシーボルトが晩年日本研究に励んだ街として知られています。彼が日本滞在中に集めた品々が展示されている「シーボルトハウス」に向かいました。シーボルトハウスはごく当たり前の建物で、私たちは通り過ぎてしまいました。地図を見ていた私たちに現地の女性が声をかけてくれて戻って案内してくれたのですが、その方も通り過ぎてしまうという本当に地味な建物です。

 

シーボルトはありとあらゆる物を持ち帰ったようです。

 

蒔絵の重箱、これは見事な細工でした。

 

江戸の地図、こういうものを集めたのでスパイの容疑をかけられたのかもしれません。

 

200年近く前の剥製がしっかりとした形を留めています。因みにこれはマンボウです。

   

彼が好きだったというアジサイの標本です。

シーボルトが日本の様子を日本の絵師に描かせていたという内容のレクチャーにちょっとだけ参加してきました。オランダ語は全く聞き取れませんが、映し出された資料と想像力で20パーセント位はわかったような気分になりました。。

中庭で銅像になっていたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト氏。

 

道路沿いの民家の窓に、昭和天皇がライデンを訪問された時の写真が銅版に刻まれて飾ってありました。江戸時代から国交を結んでいたオランダと日本の友好関係を感じました。

次に向かったのはライデン大学です。ライデン大学は16世紀に創設されたオランダ最古の大学で、付属の植物園が目標です。シーボルトハウスから5分足らずすぐ近く、ここもまた入り口は見落としてしまいそうな感じでした。

 

シーボルトが日本から持ち帰ったという藤と槙(だったと思います)が大木に育っていました。

 

 

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3日目 アムステルダム街歩き

さあ今日はアムステルダムの街を歩きます。

朝食を済ませてから、ツーリストインフォメーションが開くまでにシンゲルの花市の見物です。行き過ぎてしまって少し時間をロスしましたがシンゲル運河沿いに並ぶ開店準備中の花屋さんを見つけました。

 

インフォメーションで「24時間ダフカールト」を購入して、いよいよ街歩き開始です。

市内を移動するにはトラムかバスを使いますが、これで公共交通機関はフリーパスになるという使いでのあるカードです。

最初に目指したのはゴッホ美術館ですが、行ってみるといくつかの情報にあったとおり100mは軽く超す長蛇の列です。すぐに予定変更して国立ミュージアムへ。ここは並ばずに入れて、人の群がるレンブラントの「夜警」を人の頭越しに鑑賞。とても大きなものです。そしてお目当てのフェルメール「牛乳を注ぐ女」に会えました。感激です。

 

外へ出ると雨、とりあえずは小休止ということでホテルへ。

3時を回った頃雨もやんだので、世界遺産の「アムステルダム防災網」付近に行くつもりでインフォメーションで行きかたを聞きました。しかし意外に遠くて往復2時間以上はみなくてはならないことがわかりました。少々疲れていた私たちはすぐにそれを諦めました。

次の目標は「アンネの家」です。

ここも行列ですが、それでも入るしかないのでじっと待ちました。

 

アンネの家の本箱の隠し扉をみて、じっと隠れて過ごしたアンネの悲惨な暮らしが現実感を伴って迫ってきます。

 

昔観た映画の中でアンネがペーターと一緒に外界との唯一の接点である天窓から青い空を見ている場面が浮かんできます。その窓は思ったより小さく、少女が耐えなければならなかった過酷な暮らしを想像させます。内部の写真は禁止でしたので、パンフレットから借用しました。

アンネの家の見学を済ませて、アムステルダムCSに戻り、日の暮れないうちにと急いで「飾り窓」地区へ。

 

写真の両側には狭い店が並び、店の入り口には肌も露わな女性が立っていました。時間が早いので人影はまばらです。若くどちらかといえば小柄な女性が多かったかと思います。彼女たちはおばさんには愛嬌を振りまくでもなく不機嫌そうでした。まぁ当たり前ですけど。

最後は「ゴッホ美術館」です。6時を回り今度は並ばずに入館です。

「ジャガイモを食べる人たち」に代表される農民生活を描いた初期のやや暗い色調の絵から、印象派に影響されるパリ時代、そして南仏アルルの美しい自然を描いた時代、最後に自殺を遂げたオーヴェル・シュル・オワーズ時代と変化していく画風がわかる展示でした。この美術館所蔵の絵の画集を買ってご機嫌です。

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2日目 キンデルダイクへ

オランダと言ったら「風車」は外せないでしょう。というわけで私たちの弥次喜多道中でも世界遺産となっている「キンデルダイク風車網」に向かいました。

デルフトから列車で15分ロッテルダムCSで乗り換えてまた10分ロッテルダムロンバーダイン駅で下車です。そこから90番のバスが行くはずですが、はじめにやってきたバスはキンデルダイクには行かないというのです。90番は2系統あってユトレヒト行きに乗らなくてはならないとわかりました。30分待ってやってきたバスに無事乗って45分、やっと到着です。

風車はもともとは海抜0メートル地帯の排水のためだったそうで、大きくて頑丈な作りです、牧歌的な風景とは裏腹に当時のオランダの厳しい生活を想像できます。

時代の流れと共に、ここのように多くの風車が残っているところはなくなったそうです。

帰りは・・・事件でした。やってきたバスがロッテルダム行きだったので、ロッテルダムロンバーダインで降りず終点まで行きました。しかしそこはロッテルダムCSではなく、地下鉄のロッテルダム何とかという駅だったのです。アムステルダムにもアムステルダム何とかという駅がいくつもありました。

そこからロッテルダムCSに辿りつくまでの苦労はとてもここには書けません。 

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