4日目 シーボルト縁のライデンへ

前半のアムステルダム三泊の観光を終えて、次なる宿泊地ベルギーブリュッセルに向かいます。

この日はデン・ハーグのマウリッツハイス美術館でフェルメールの「真珠の耳飾の少女」を観るのを楽しみにしていたのです。しかし不運なことにそれは私たちとすれ違いに日本に貸し出されています。意気消沈してデン・ハーグ行きはカットです。

そして私たちが降り立ったのはライデンです。ライデンの駅は真新しく近代的な駅舎です。

 

しかし思わぬ伏兵が・・・。スーツケースを預けるコインロッカーが近代的過ぎて(?)手に負えません。いき会わせた日本人のご夫婦は諦めて去っていきましたが、私たちは粘って結局駅の係員に面倒をみてもらいました。

まず駅からすぐのナチュラリス(国立自然史博物館)に向かいます。

 

研究施設のような建物が続く間を抜けていきます。植木鉢が布やニットでディスプレイされているのが、コンクリートだらけの周囲の雰囲気を和らげています。ナチュラリスは一番奥で、外観は簡素な印象です。

 

新しい施設に豊富な資料が工夫されて展示されています。「トキ」がオランダの空を飛んでいました。

 

 

ライデンはシーボルトが晩年日本研究に励んだ街として知られています。彼が日本滞在中に集めた品々が展示されている「シーボルトハウス」に向かいました。シーボルトハウスはごく当たり前の建物で、私たちは通り過ぎてしまいました。地図を見ていた私たちに現地の女性が声をかけてくれて戻って案内してくれたのですが、その方も通り過ぎてしまうという本当に地味な建物です。

 

シーボルトはありとあらゆる物を持ち帰ったようです。

 

蒔絵の重箱、これは見事な細工でした。

 

江戸の地図、こういうものを集めたのでスパイの容疑をかけられたのかもしれません。

 

200年近く前の剥製がしっかりとした形を留めています。因みにこれはマンボウです。

   

彼が好きだったというアジサイの標本です。

シーボルトが日本の様子を日本の絵師に描かせていたという内容のレクチャーにちょっとだけ参加してきました。オランダ語は全く聞き取れませんが、映し出された資料と想像力で20パーセント位はわかったような気分になりました。。

中庭で銅像になっていたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト氏。

 

道路沿いの民家の窓に、昭和天皇がライデンを訪問された時の写真が銅版に刻まれて飾ってありました。江戸時代から国交を結んでいたオランダと日本の友好関係を感じました。

次に向かったのはライデン大学です。ライデン大学は16世紀に創設されたオランダ最古の大学で、付属の植物園が目標です。シーボルトハウスから5分足らずすぐ近く、ここもまた入り口は見落としてしまいそうな感じでした。

 

シーボルトが日本から持ち帰ったという藤と槙(だったと思います)が大木に育っていました。

 

 

Travel,2012/06 ベネルクス このページの一番上へ

コメント

  • anneさん、こんにちは。

    ライデンに行かれたのですね。
    私も行きたかったところなので、anneさんの旅行記で自分も行った気分です。
    シーボルトと植物の関係は興味深いですね。
    マウリッツハイスのフェルメールの絵は残念でしたね。
    そちらでしたら、じっくりと鑑賞できたと思うとちょっぴり悔しい気持ちになりますね。
    次も楽しみにしています。

  • アンさん コメントありがとうございます。
    ライデンは古くから開けた街でしょうが、再開発で古いものと新しいものが混在しているような感じがしました。
    遠い海外の土地で日本の古い生活用具を見るのは、時間と空間を飛び越えた不思議な感覚があります。

    今回楽しみにしていたフェルメールが見られなかったのは返す返すも残念です。旅行の計画を立てる時のリサーチが足りなかったからです。キューケンホフも5月の下旬で公開期間が終わってしまって見られませんでした。これも心残りです。

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